201027_たんぽぽ

・「たんぽぽ」という唱歌がある。小学生のときに教わって,わりと歌いやすいメロディだな,でもバラの花よりたんぽぽの花ってどういう意味だろう(当時は花が嫌いだった)と思いつつ素直に歌っていたのだが,数年前に思い返して検索をしたらどうやら労働運動の歌だということが分かった。

 

・「たんぽぽ」を作ったのは前職の労働組合(日立労組)らしく,前職の社史や労働運動の先行研究を紐解くとああ日本型の労組協調型の労働組合なのかなぁ……と思ってしまうのだけれど(実際,日立労組は組合員の苦情処理機関としても機能していて,一般的にイメージされる労働争議とはやはり別の役割を担っていたように思います),あの歌が作られた時代の日本の産業構造だったり,当時の教育達成の不平等や「学歴社会論」に思いを馳せると,労働者の目線から共感できるよい歌だなあと思ってしまう。川崎や戸塚の工場の壁の脇にはたんぽぽが生えていたんだろうな。

201020_運命の人じゃん

献血が好きなのだけれど(なぜなら「ヘモグロビン濃度」という極めて実存的な私を示す変数について褒めてもらえるので),きょうの10時くらいに日本赤十字社からこういうLINEが来た。

現在、貴方様と白血球型(HLA)の適合する患者さんが輸血を必要としておりますが、未だ献血にご協力いただける方が見つかっていない状況です。ご多忙のところ、急なお願いで誠に恐縮ではございますが、下記期間中、成分献血(血小板)にご協力いただけないでしょうか。

献血をしてくれる人が少ない時期のお知らせは来るけど,こういうかしこまったお願いはこれまでもらったことがなかったし,ちょうど献血ルームがある場所に行く日と依頼期間が被っていたので電話をして予約した。希望する献血ルームのベッドの空きがないとのことで,じゃあ別の献血ルームでもいいですよ~と言ったのだけれど,最終的に希望する献血ルームで調整がついたので,緊急度も重要度も高い献血なのかなと思う。

・血液型はともかく,HLA型は聞いたことがなかったので検索してみた。家族以外で合致する確率は数百~数万人に1人らしい。まさしく運命の人じゃん!と思い付き,謎の昂ぶりをおぼえてしまった。「私の血を待っている人がいる……」って言いながら院生部屋を出る私を想像して,ちょっとかっこいいかなって思った(中二病)。

修論もろくに書けないポンコツ院生の血でよければ数人分くらい抜いてもらってかまわないので,運命の人には病気の治療なのか手術なのか分からんけどまあ頑張ってほしい。

・後々調べたので追記。一般的に輸血は血液型が合っていればなんとかなるようなんだけど、それでもHLA 型を指定しなければならない状況は、繰り返し輸血を受けなければいけない血液疾患に罹患しているケースに多く見られるようであった。そしてHLA型の一部は遺伝する。

・実は現在私の母も悪性リンパ腫をやっている。彼女の場合は輸血までする必要はないけど、数十年かけて化学治療による寛解と再発を繰り返す(もちろん最後は死ぬ)らしい。私は母とさして仲良くできないけれど、私の献血で母のような(もっと症状が重い)誰かが助かるのであれば、遠回りな親孝行なのかもしれないと思う。


根津駅から帰りの混雑した千代田線になんとか無理やり乗り込んで、ドアが閉まったと思ったら再び開いた。しばらくドアが開いたまま待っていたら「具合が悪いお客さまの救護のため停車します」のアナウンスがあった。そりゃ大変だ。そうしているうちにふたつ隣のドアから乗客が何人か降りたり、その方面から乗客が車内を移動してきたり、駅員や車掌がホームを走ってきたりでほうなんとなく察しがつくぞ……と思ったらやっぱり戻した人がいたようだった。

・そのあとしばらくして電車が発車して、西日暮里と町屋あたりで何度かアナウンスがあったがどうやら車内清掃はまだしていなかったらしい。アナウンスからは戻した物をどう呼ぶかについて、車掌の逡巡がみられておもしろかった。「吐瀉物」じゃ音で伝わりにくいし、「汚物」とも呼べない難しさ。北千住駅で降りたタイミングで車内清掃チームが入っていくのを見てチームワークだなぁと思った。

201017_神のご加護がありますように

・最近週休二日制を導入していた(金・土で休む)のだけど,結局少しでも研究していたほうがリズムが崩れないということに気づいたので結局大学へ行った。ところで本郷三丁目のスタバは土日だけでも面積が2倍にならないだろうか。

・途中の乗換駅のスタバで1.5h作業したところで最高に集中できた。いえーい。同業他社の内定者と先日バチバチにやりあった後始末をした。正直すまんかった……という気持ちを抱いている。

・大学についてからはさして進捗もなくぴえん……という気持ちになり,風邪気味っぽいので早く帰ることにした。某先生も「研究者は体が資本だ」とおっしゃっていた(と某先生門下のひとから聞いた)し。

・根津から乗り込んだ帰りの電車はさして混んでおらず,ぬけぬけとスカスカだった優先席に座った。西日暮里あたりで席がすべて埋まって立ちっぱなしになる人が出て,ちょうど目の前にヘルプマークをつけたおば(あ?)さんが立っていたので席を譲った。

・譲るときに「座りますか?」と発声しながら肩を叩こうと思ったのだけれど,声が出ずに肩を触る不審者になってしまった。席を譲りたいという意思が伝わるまでコンマ数秒かかったのだけれど,無事通じたらしく座ってもらうことができた。

・結局町屋の駅でその人の隣の席が空いたので,「あなた座りなさいよ!!」と声をかけてもらって座れた。普通に席を譲っただけなのに,「あなた素晴らしいわね,ぜったいそのうちいいことがあるわよ。神のご加護がありますように。」と仰っていただけた。北千住で降りるまで,そのおば(あ)さんが人工関節を入れていて,車いすだったのが週三日働けるまで回復した話を聞いた。ただヘルプマークを付けている人に席を譲っただけなのに,譲った人に「神のご加護がありますように」と言えるのはすごいな,うつくしいなと思った。私にはさして信仰がないのだけれど,こんなセンスのあるお礼がすっと言えるくらいのしっかりした信仰があるのは憧れるというか,うらやましいなと思う。

・痩せて(最近太り始めたが……)美容室に定期的に行き,化粧と服と靴をそれなりにちゃんとするようになってから,道を聞かれたり,(いい意味で)話しかけられたりすることが増えた。

・ところで「資本主義の走狗(←ずっと「そうぐ」だと思っていたけど「そうく」だった。音声情報に弱い。)」という言葉は今どきの学部生に通じないのだろうか。私自身が学部生とほんの少し年が離れているのと,もともと90年代生まれだと思ってもらえないような知識の持ち主なので,これは単なるジェネレーションギャップなのか,そもそも同年代でも通じないのか?という判断がつかない。

201016_なにもできない

・あまりにも進捗が生まれず、ゼミ(しかも本所属ではない)で泣いた。
・しかしみんな修論は苦労するものらしい。大抵の教員や先輩院生が「実は自分の修論執筆時に体調を崩した、メンタルが崩れた」という話をするのでスンッ( ˙꒳​˙  )という顔をしている。頼むからそういう苦労Tipsははやめに口伝してほしい。
・ふと周囲を見回せば多かれ少なかれ同期のほとんどがしんどそうにしているので、しんどさを共有して大きくなりたいと思った。

・話は変わるけど、https://togetter.com/li/1606665?page=5を見て、年齢を自分からバラさない人の出生コホートが「ユニクロなんて安物着られない」という発言から推測できてしまったことを思い出した。たぶん今40前半。

201003_なぜもう10月なのか

・もう10月になっていた。私はこれまで何をしてきたのか,というほど修論の進捗が生まれず困っている。

・人生で2回目になる内定式なるものに出た。しかしオンラインである。相変わらず口と頭と態度が悪い人間なので,開始30分で修論の作業を進め始めてしまった。目の前を向いているしバレないだろうと思っていたが,あとから同期に「お前絶対内職してただろ(大意)」という指摘を受けたので今後は気を付けていきたい。

・最近歯医者さんに定期的に通えるようになった。人生における大きな進捗である。これまで「自分の利益に資するが社会的な評価は得られない行動(いわゆる「セルフケア」)」なるものができなかったので,よっぽど体の調子が崩れない限り定期的な通院なるものができなかった。やっと「セルフケア」概念が私にとって都合がよいと理解できたので(26年かかった),ちゃんとサボらずに通っていきたい。考えてみれば,こういう衛生概念がない家に生まれ育ったのだなあと思う。社会的不平等。

・人間関係の構築がえてして不得手なので,相変わらず周囲から浮いている感覚がある。たいてい私を舐めてかかる人間の行いをギリギリまで我慢したうえでお気持ちを爆発させるので,ほんとうの主犯は私ではないはずなのだが,はたから見ると「我慢していたお前が悪い」となるらしい。なるほどなぁと思っている。この問題に関しては概ね私の努力の方向性が間違っているようなので(人に対する態度が問題なのかと思っていたがそうではないと同期に叱られた),もう私にはコントロールできない話だとおもっている。SSTなるものをやるべきなんだろうなと思うが,「それは構造に起因するような私にとっての不利益を,社会秩序に都合よく我慢させるツールなのでは?」という思いをぬぐえないのであまり前向きに取り組んでいない。今後は人の振る舞いが我慢ならなくなる前にそっと離れることにしている。

・最近長文を抵抗感なく書けるようになってきた(感覚が戻ってきた)ので,ブログの文章が少しずつ長くなっている。精神的に死ぬと書けなくなる。このまま修論までキープしたい。

200925_やりきった気持ちでスッキリしている(学振DC1を)

・学振DC1の結果が出て,「二次採用内定候補者」(例年でいう面接組)になった。今年は面接がないので,より大きい区分(私は「社会科学」,つまり法学や経済学などの応募者との比較)での書面合議で採用内定・補欠・不採用が決まる。

・とりあえず結果を見た感想は「意外とよくやったじゃん!」だった。さすがに国総上位合格(行政系じゃないけど),官庁訪問で内定獲得,査読論文なしで学振DC1面接組(書類合格じゃなくて悪かったな)の3つが並んだら,自分に対して素直によくやった!以外の感想が出せないと思う(自慢)。いや,しばきあげたい人もいると思うけど。

・ネガティブ反実仮想大好きマンなので,「もし公務員試験/学振DC1に全振りしていたら」,「社会学ではなく教育社会学に出していたら(指導教員からは「教育社会学で出さないの?」と聞かれた。聞かれただけだけど。)」などと考えてしまうが,もう済んだはなしというか,やり切った気持ちでスッキリしている。でも私の博士課程研究テーマは素直に面白いはずなので(実力は追いついていない),ぜひだれかに継いでほしい。あと私が応募した分野ではDC1の有無がその先の業績をそこまで規定しなさそうという傾向もあるので(言い訳),まあ仮に進学してもどうにかなっているだろうと予想した。

・最終的な結果は1月上旬に出るらしい。できればT-スコアを知りたい笑。それまでに修論が書きあがっていればいいけど。

 

・なお修論は一向に調子が上がってこないので,「修了……?」という気持ちである。とりあえず今日はゼミに出たあと髪を切りに行く。

200924_私にだけ余計にGがかかっている

・昨日の夜から絶不調で,完全に低気圧のせいじゃん!と安心している。安心できる絶不調ほどすばらしいものはない(理由が分かっていて,対処できるかもわかっているので)。頭痛と体のだるさが強く,世界で私にだけGが余計にかかっているのではないかと疑ってしまった。

 

・Rがメキメキと上達している。やはり必要に駆られて学習するものは違う。学位=就職がかかっている。1年かけて多大なる学習コストをかけたはずなのに,ここひと月でどうにか書けるようになったコードの方が明らかに可読性が高く正確である。1か月前に書いたコードがピヨピヨすぎて,直してしまうのが玉に瑕だ。心身の不調は別にして,バリバリとコードを書き分析を進めた。

 

・論文執筆も,「結局駄文であってもまず書いてみて,そのあと直すほうが時間的なトータルコストが少なくすむ」ということをもう一度思い返し,何とか書けるところから書いている。特にとある先輩と似たようなことをしている部分は,その部分を手本にして,私の論旨に当てはめてみている。この先輩の修論はとても「かっちりと」(by指導教員)していて,とてもお手本にしたい論文である。

 

・デジタル庁についてのニュースを見ていて,あ~~~~デジタル人材~~~~(白目)と思った。私は前職で取った杵柄で応用情報技術者までは持っているんだけど,これはネガティブなシグナルになりうるのではないかと思っている。資格を持っていることと,実際に業務で活かせるかは別の話だ。個人的には「デジタル化」なるものは時限を切って実現するものではない(技術も政策もどんどん進化するはずなので)と思っているし,それより外部労働市場との接続を各省で取れるようにしたほうがいいのではないか。複雑な業務フローを抱える省庁で業務システムを内製化できるようなPM人材は,きっと外に出ていってしまうと思うけど。